# 041
私は地球からきたという挨拶 |
レポート 南極のオゾン層に「穴」が開いていることが1985年に初めて発見され、20世紀後半最大の環境問題の一つの始まりが周知の事実となった1。地球の南端で起きているオゾンの消失は、季節によって様相が大きく変化することから一層注目を集めた。オゾン量は毎年8〜9月(南極の春)に急激な減少を示し、オゾンホールは通常9月後半から10月前半までに最深となる。その後オゾンホールは、オゾンに富む周辺大気との混合によって1 月末までにほぼ埋め戻され、次の春を迎える。 1980 年代後半から1990 年代前半にかけて、毎年南極に春が来ると、熱心な科学者は、同じように関心をともにする一般市民にオゾンホールに関する情報を提供した。南極での事象を取り巻くナゾは、だんだんと科学者にも一般市民にも理解されるようになっていった2。オゾンホール発生の根本的原因は、種々の産業化学物質であることが確認された。各国政府は当該物質の段階的削減をうたったモントリオール議定書に賛同し、対象となるガスの全世界の生産量は1990 年代後半までに90%以上減少した。こうした学術知識や一般的認識の大きな変化に関わった科学者の多くと同じく、筆者はこの問題が社会の関心を集め、学童までが事の本質を理解できたことに勇気づけられた。 モントリオール議定書発効以来、オゾンホールを国際的な環境政策のサクセスストーリーととらえる向きは多い。だがここ数年に筆者は、オゾンホールが出現したという毎年の報道に対して、一般市民が関心を持つというよりも、理解できないという態度を示すことを懸念している。モントリオール議定書は機能しているようにみえるが、オゾンホール縮小の進展速度には大きな揺らぎがある感じがする。そして、オゾンホールは大きさと形が変化しているため(図1)、その意味を一般向けに伝えるのは、なおさら困難になっている。 こうした背景から、科学界は新たな課題を突きつけられていると、私は感じる。オゾン破壊物質の生産が全世界で現在ほぼ完全に停止されているにもかかわらず、オゾン減少がこの先何年も続くなか、どうすれば科学者はオゾンホールに関する一般市民からの理解を維持できるのだろうか。学生や教師、他分野の科学者のみならず、あらゆる人に対して、わかりやすい言葉でうまく説明するには、どうすればよいのkuゥ。なにしろオゾンホールという現象は、科学的であると同時に歴史的であり、技術的であり社会学的でもある。オゾンホールが修復される速度が非常に遅くなるなか、なにがニュースであり、なにがニュースでないのだろうか。オゾンホールの動きとモントリオール議定書の有効性との間には何らかの関係がみられるのか。みられないとすれば、議定書が機能しているかどうかは、どうすればわかるのだろうか。 原因と結果 オゾンホールの発見から5年以内に、その原因は突きとめられた。大気中化学物質の直接測定によって、成層圏の塩素濃度上昇が主因であることがわかったのだ3。塩素濃度上昇の主な原因は化合物フロン(chlorofluorocarbons;CFC)であった。これは化学産業が長期間にわたって生産した物質で、冷蔵庫やエアコンの冷媒、発泡剤、溶媒など多目的に使用されていた。 極地成層圏は冬から春にかけて超低温条件となることから、南極でのオゾン破壊の化学反応効率は著しく高くなる。成層圏大気温が-85。Cを下回ると直ちに特徴的な上層雲ができる4。この冷たい雲の表面が非常に激しい反応の場となり、不活性な塩素はオゾンを破壊する形に変化する。オゾン破壊の主反応は太陽光の作用で始まるが、南極では冬にほとんど太陽が出ないため、オゾンホールが出現するのは春である。 北極にオゾンホールがないのはなぜだろうか。北極ではヒマラヤ山脈やロッキー山脈を越える気流と海陸の温度差によって、非常に大きな「大気の波」が発生することがあり、超低温の大気は南極の冬と春のほうがはるかに広く安定的に存在する。大気の波は、地表では嵐の通過として認識されることが多いが、成層圏まで上るものもあり、最終的には中緯度の暖気と極地の寒気とが入り混じる。このように、北半球では地形が変化に富んでいるため大気の波が多く発生し、南半球と比べて冬から春にかけての平均極地成層圏大気温が高くなっている5。 まとめると、オゾンホールは、 1)過剰な塩素(オゾンホールが近年の現象である理由)、 2)低温(南極で発生する理由)、 3)太陽光(極地に太陽が戻る春に発生する理由) という3要因が絡み合って発生している。 |